伊藤清は金融工学の土台となる「伊藤の補題」を提唱した数学者である。
伊藤の人生
伊藤清は1915年三重県の桑名市で生まれた。父親は歴史と漢文の教師をしており、父親の影響を大きく受けて育った。
小学校時代の私は、歴史と漢文の教師で、郷土史2巻の著者でもあった父の語る神話の世界に住んでいました。
確率論と歩いた60年 「京都賞受賞記念講演会」 1999/12/25
第八高校を経て東京帝国大学理学部数学科に入学した。
上京するとき、名古屋駅で見送ってくれた友人が、「この主人公は君に似ていると思うんだ。汽車の中で読んでみないか」と言って、漱石の『三四郎』をくれました。当時、名古屋東京間は「特急つばめ号」で5時間半かかりましたので、車中で読み終えましたが、三四郎が熊本から上京した1908年の9月から、26年余りも後に、東京駅に着いた私は、友人の期待どおりのカルチャー・ショックを受けたのです。
確率論と歩いた60年 「京都賞受賞記念講演会」 1999/12/25
当初は大学で力学を学びたいと考えていたものの、次第に統計力学を経て確率論に興味を持つようになった。
大学に入って、自分のまわりで展開される活発な議論に刺激されつつ、純粋数学に内在する結晶のような構造美に魅了されました。
確確率論と歩いた60年 「京都賞受賞記念講演会」 1999/12/25
1938年大学卒業とともに大蔵省に入庁し、翌年には内閣統計局統計官補となった。
大学院に進学せずに就職を選んだ理由をこのように語っている。
大学卒業と同時に結婚した私は、翌年には一児の父となり、アカデミズムに安住することは考えられませんでした。
確率論と歩いた60年 「京都賞受賞記念講演会」 1999/12/25
1938年の11月(社会人1年目)には確率論に興味を持つようになった。
確率論の内容に改めて直観的な興味を覚えたのは、フランスの数学者、ポール・レヴィ(PaulLevy)が、1937年に発表した『独立確率変数の和の理論』を読んだ時です。これは、微分積分学の関数に対応する確率論的概念としての確率過程の研究において、大きい第一歩を踏み出したもので、私はこの中に新しい確率論の本質を見いだし、そこに見える一筋の光の中を歩いて行こうと思ったのです。
確率論と歩いた60年 「京都賞受賞記念講演会」 1999/12/25
内閣統計局に務める傍ら博士論文『マルコフ過程の定める微分方程式』を執筆し発表した。これは「伊藤の補題」に関する最初の論文だった。
省庁に務めながら論文を執筆できた背景には周りの方々の支えがあった。
実は仕事らしい仕事は殆どしていなかったのです。当時の統計局長が、「あなたのご専門は大きい意味で、統計局の仕事につながりがあるといえますから、時間はすべて自由な研究にお使い下さい」と言って下さったのに甘えて、自分の世界に没入していたのではないでしょうか。
確率論と歩いた60年 「京都賞受賞記念講演会」 1999/12/25
おそらく、このころバシュリエの論文も参考にしていたのではないかと推察する。
伊藤清は、第二次世界大戦中に潜水艦によって運ばれたバシュリエの論文に傾倒し、ブラウン運動に関する研究を進めたという。また、伊藤は1994年にロバート・マートンと初めて会い、その際に「私が影響を受けたのはノーバート・ウィーナーよりむしろルイ・バシュリエだった」と語ったという。
相田洋、茂田喜郎(1999)『NHKスペシャル マネー革命<第2巻>金融工学の旗手たち』
1943年には名古屋大学で教職を得ることができ、確率微分方程式に関する論文を執筆したが、戦後であったこともあり載せてくれるジャーナルがなかった。そこで伊藤は著名な数学者ジョセフ・ドゥーブに頼み何とか掲載することができた。
私はドゥーブ教授にこの論文を送り、アメリカでそれを発表する可能性について問い合せました。それはドゥーブ教授の親切な取り計らいによって、アメリカ数学会のメモワール・シリーズの1冊として1951年に刊行されました。
確率論と歩いた60年 「京都賞受賞記念講演会」 1999/12/25
その後、数々の大学で研究を行い、1985年には『数学辞典 第3版』の編集責任者となった。当時最新の数学書はほとんどが英語、フランス語、ドイツ語、ロシア語で書かれていた。『数学辞典』の第2版と第3版は英語に翻訳されて出版された。
誰もが信頼できる数学辞典が、先ず日本語で編集され、それが英語に翻訳されるのを世界中の科学者が待っているということについては、日本の数学全体のレベルの高さを示す指標として、執筆と編集に携わった数学者の一人として誇りに思っています。
確率論と歩いた60年 「京都賞受賞記念講演会」 1999/12/25
伊藤の理論は金融工学に多大な影響を与えたものの、彼自身は「経済」や「デリバティブ」にあまり関心がなかった。数学が得意な若者が医学や金融工学の分野に進んでしまうことを残念に感じていた。
「経済」の一部である「金融」から、更に派生したらしい「金融派生商品」や、そのディーラーの名のもとに行なわれる戦争を一刻も早く終わらせて、有為の若者たちを数学教室に帰していただきたいと思うのは妄想でしょうか。たとえ、彼らが志願兵であったとしても、あの杜子春でさえ桃の花咲く田園に帰っていったのですから。
確率論と歩いた60年 「京都賞受賞記念講演会」 1999/12/25
所属していた研究機関
1938年 | 大蔵省(日本) |
1939年 | 内閣統計局(日本) |
1943年 | 名古屋大学(日本) |
1952年 | 京都大学(日本) |
1954年 | プリンストン高等研究所(アメリカ) |
1961年 | スタンフォード大学(アメリカ) |
1967年 | オーフス大学(デンマーク) |
1969年 | コーネル大学(アメリカ) |
1975年 | 京都大学(日本) |
1979年 | 学習院大学(日本) |
1985年 | ミネソタ大学(アメリカ) |
会員等歴
1979年 | 京都大学名誉教授 |
1981年 | パリ第6大学名誉教授 |
1987年 | チューリッヒ工科大学名誉教授 |
1989年 | フランス学士院外国人会員 |
1991年 | 日本学士院会員 |
1992年 | ウォーリック大学名誉教授 |
1995年 | モスクワ数学会名誉会員 |
1998年 | 米国科学アカデミー外国人会員 |
学術賞
1977年 | 朝日賞 | 「人文や自然科学など、日本のさまざまな分野において傑出した業績をあげ、文化、社会の発展、向上に多大な貢献」をした個人または団体を顕彰する。 |
1978年 | 恩賜賞・日本学士院賞 | 日本学士院による賞は、日本の学術賞としては最も権威ある賞である。恩賜賞は日本学士院による賞の中でも特に権威あるもの。 |
1985年 | 藤原賞 | 藤原銀次郎によって1959年に設立された藤原科学財団が授与する科学技術の賞。 日本国内の科学技術の発展に卓越した貢献をした科学者の顕彰を目的とする。 |
1987年 | ウルフ賞 | 1978年に第1回授賞式が行われた、その年に優れた業績をあげた科学者、芸術家に与えられる賞である。 |
1998年 | 京都賞 | 公益財団法人稲盛財団の創設した日本発の国際賞である。 |
2006年 | ガウス賞 | フィールズ賞など、一般に数学の賞は純粋な数学的業績(数学分野への貢献)を評価するのに対し、ガウス賞はそれが実際に社会的な技術発展など、数学分野以外に与えた影響・貢献を評価する。 |
栄典
1987年 | 勲二等瑞宝章 | 「国及び地方公共団体の公務」または「公共的な業務」に長年にわたり従事して功労を積み重ね、成績を挙げた者を表彰する場合に授与される。 |
2003年 | 文化功労者 | 文化の向上発達に関し特に功績顕著な者を指す称号。文化勲章よりも多くの者が選ばれ、文化人にとっては同勲章に次ぐ栄誉となっている。 |
2008年 | 文化勲章 | 学技術や芸術などの文化の発展や向上にめざましい功績を挙げた者に授与される、単一級の勲章である。 |
2008年 | 従三位 | 今日では主に国会議員、都道府県知事、事務次官、外局長官経験者などで勲二等を受けた者や同等の功績を挙げた者、もしくは学者、芸術家などで文化勲章の叙勲を受けた者が死後に叙位されることが一般的である。 |
伊藤の補題の概要を理解する
ある確率過程\(X_t\)が次のように表されるとする。
$$dX_t = a(X_t , t) dt + b(X_t , t) dW_t : (★)$$
\(dW_t\) :ブラウン運動
この時 \(X_t\) を伊藤過程と呼ぶ。
\(X_t\) と\(t\)の関数である\(F(X_t, t)\)をマクローリン展開すると、
$$dF(X_t , t) =F_{X}dX_t + F_{t}dt + \frac{1}{2}F_{XX}(dX_t)^2 + F_{Xt}(dX_{t}dt) + \frac{1}{2}F_{tt}(dt)^2 + ・・・$$
(★)を代入して、以下のルール(伊藤ルール)を適用すると、
\( (dW_t)^2 = dt \\ dW_tdt=0 \\ (dt)^2=0 \)
2次以降の項がすべて0となるため、結局次の式となる。
$$dF(X_t , t) = \big( F_t + a(X_t , t)F_X + \frac{1}{2}b^2(X_t , t) F_{XX} \big) dt + b(X_t , t)F_XdW_t$$
上記の等式が成り立つことを伊藤の補題と言う。
(\(F_X\)は\(X\)に関する導関数に対して\(X\)を代入したものと表記しなければないが、見やすさの観点から上記の表記としている。)
参考文献
確率論と歩いた60年 「京都賞受領記念講演会」 1999/12/25
https://www.kyotoprize.org/wp-content/uploads/2019/07/1998_B.pdf
「伊藤清先生と学習院大学」
https://www.gakushuin.ac.jp/univ/ua/publication/pdf/ml_27_02.pdf
『マネー革命 2 (NHKライブラリー 217 NHKスペシャル)』 相田 洋 (著), 茂田 喜郎 (著)
『数理ファイナンスの歴史』 櫻井 豊 (著)
『ファイナンス理論全史 儲けの法則と相場の本質』 田渕直也 (著)
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